世代交代
お盆、お施餓鬼法要も無事済みました。
前半は雨の日々で、予定時間を大幅にオーバー致しましたが、ご理解、ご協力のお陰で全体的には、やや予定通り棚経もお勤めできましたこと感謝申し上げます。
盆・彼岸の棚経で、座っているべき方のその場所にお姿が見えなかったり、元気に対応していただいた方が療養中だったりして、変化のほどが感じられます。
毎年同じ月の同じ日、同じ時間のお施餓鬼法要でも、いつも同じ場所に座っていられた方のいつもの顔がなかったりします。
それに代わって、その家の新しい方がお座りいただいており、世代の交代を感じさせられます。
毎日毎日、ばたばたと動いておりますとそれほど気にならないことでも、一つの行事、ある一日に焦点を合わせて見てみますと、確実に時の流れ、世代の動き、が感じられます。
それが少しづつの変化ですから全体的には何事もなかったかのように営まれて参ります。
組織、社会はそのようにして日、月、年が流れていくのでしょうか。
今年の施餓鬼法要で、ご挨拶申し上げているときになぜか強く感じました。
時の流れとともに「世代交代」は止められません。どうしょうも無いことですので、真正面に受け止めて、明日に向かって進まなければなりません。
施餓鬼法要へのお参りの方の顔ぶれが変わり、やがて住職の顔も変わります。それでも法要は続いていくことでしょう。 良い方に変りますように。