「儀礼・形式」
仏さんの前で合掌します。
結婚式では三三九度の盃を交わします。
これらは儀礼であり、形式です。
そうするもんだ。と教えられ、何も考えずに行ってきた感もあります。
お通夜に行ってお焼香する場合も「何度かな ? 数珠は右だっけ 左だっけ ?」と頭の中は ? ?だらけです。
こんな事は単なる形式だけなのだから辞めてしまえ。と言う方もおります。
「形では無い心だ。 信仰心があれば形なんかどうでもいいんだ。」として自分流に物事を進めようとする方もおります。
お墓の前で合掌しようがしまいが心の中にご先祖様をしっかりお祀りしていれば形ばかりの信仰よりもずっと高級なのだ。と力説される方もおります。
合掌、焼香等様々の形式は、ある日偉い人が「これからはこういう風にしなさい」と勝手に決めたものではありません。
仏さんの前に行く。
自然と合掌の形になる。
それは美しい姿であり、本人だけでなく、その姿を見る方も穏やかな気持ちになる。
そんなことが繰り返されて、自然に決まり事となってきたのではないでしょうか。
次第に、仏様の前では合掌する。 合掌しなければならない。合掌しなさい。
合掌の仕方は・・・と形ばかりが受け継がれてきたような感じがします。
全ての儀式、形式もこのような感じで、あまりにも目に見える部分ばかりを強調するため、自分流を唱え出す方も出てくるのでしょう。
儀式にしろ、形式にしろ、長い間受け継がれてきたと言うことは、その姿が一番美しく、無駄が無く、理にかなっているからではないでしょうか。
形ばかりだと決めつけないで、もう少しその形式に身をゆだねていれば
なるほどね と納得し、悟ることが出来ます。きっと。
古来からの儀式、形式の良さを再確認しましよう。